「ことばの家」について

 

ことばの家。

その名前の由来は、20世紀初頭を生きた精神科学者ルードルフ・シュタイナーのことばです。アントロポゾフィー運動のホームグラウンドとしての「ゲーテアヌム(ゲーテ館)」を、彼は「ことばの家」と呼びました。

ゲーテアヌム建築中の1914年6月17日にドルナッハの丘の上でシュタイナーは、「ことばの家」について以下のように語っています。 (要約です)

 

人びとは口から耳へと伝えられるものが、平和と調和を作り出せると本当に信じています。しかし、平和、調和、人が人としてあるありようは、神々がわたしたちに語りかけるとき、初めて生まれるのです。

 

このゲーテアヌムの壁、そして窓に施される芸術的なフォルムによって、神々はわたしたちに語りかけてきます。フィジカルな壁は生きていませんが、エーテルの、精神の、壁は、生きて動くものなのです。

地球の大地がその懐から植物たちを生み出すように、わたしたちが造形する壁のフォルムは(内において)生きて動くものを生み出します。

わたしたちの建築は、そのフォルムによって、きっと、神々のことばを語り始めます。植物のエーテルのフォルムに耳を傾け、それらをわたしたちの壁のフォルムによって創ろうではありませんか。

自然に潜む神々が、人に、語る喉頭を創られたように、わたしたちは、芸術によって、神々が語りかける喉頭を創るのです。

わたしたちは、これらのフォルムが何を意味するのかを解釈するのではなく、心臓で聴くかのように神々のことば、精神のことばを分かろうとします。その分かる力を育むこと、それがわたしたちのなすべきことです。

このように、精神への道を見いだそうという聖きこころもちが、この仕事場に満ちますように。

仕事場とは、きっと、人がその精神を愛の内に見いだし、平和と調和を地上に拡げていくような精神への道を見いだす場です。

真の芸術への、真の精神への、そしてすべての人への愛をもって、「ことばの家」「神が語る家」を建てようではありませんか。

その豊かな精神、その豊かな内実を、わたしたちは、乏しい中にも、受け止めることができるのだろうか。そう考えています。

わたしたちも、フィジカルなものはなくとも、エーテルの生きたフォルムが、場に織りなされていくならば、そこは、「神が語ることば」に耳を傾けることができるような場として成長していくことができる。

そのエーテルのフォルムは、いかにして空間に織りなされることができるだろうか。外的なつくり、フィジカルなかたちではなくとも、内なる建築作業は、いかにしてなりたちうるのだろうか。

そのことを問いながら、この「ことばの家」を仕事場にしています。

空間に、内なるエーテルのフォルムが織りなされていくには、「ことばの家」において語られることばが、ひたすらに、人間的であること、生命的であること、エーテルの動きを湛えていること。そのことが要であるように思われます。

ことばが、人間的であり、生命的であることを求められている。100年前のヨーロッパにおいても既に、ことばは非人間的な響きを湛えていたのでしょう。

その、人が語ることばの内なるつくりによって、神々が語りかける場としての芸術的なフォルムを用意していくことはできないだろうか。

 

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わたしたちの「ことばの家」は、舞台・ワークショップ・講座などを通して、ことばを話すこと、語ることが、芸術になりえるのだということを提示していきたいと考えています。

そして、ひとりでも多くの方と共にそのことばの芸術を受け取り、楽しみ、創造していきたいと願っています。そして、さらに、ことばの芸術を通して、神々が語りかけ、ひとりひとりの人がますますその人その人になりゆく、平和と調和が育まれていく、そのことを意識しています。

ことばには、その「こうごうしさ」が湛えられるような、芸術的なフォルム・つくりが欠かせないように思われてなりません。

わが身を通して、ことばを発すること。そのことを繰り返し、繰り返し、練習していく中で、「人間的であること」「こうごうしいこと」を共に、探っていきたいのです。

芸術とは、「人はこうもありえる、もっと、こうもありえる!」というところをわたしたちの前に提示してくれます。わたしたちに「人であること」「こうごうしいところ」を思い出させてくれます。だからこそ、芸術は、人が生きることにおいて絶対に必要なものであります。

今、ことばが見直されようとしています。それは、ことばに人間的な響きを取り戻したいという時代の願いであります。

では、人間的な響きとは?

そのことこそ、「ことばの家」において、実践的に見出していきたいことです。

どうぞ、ご参加下さい。