これまでの公演

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聴く文学の喜びと悲しみ(アンケートより)(諏訪耕志)
共同の創造(諏訪千晴)
第三回おはなしペチカ ありがたうございました(諏訪耕志)

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ありがたうございました!(山崎淳子さん)(諏訪耕志)

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神と人の共同作業 ~ペチカを終えて~(諏訪千晴)
ありがたうございました!「第二囘おはなしペチカ」 (諏訪耕志)

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二人三脚 ~『高瀬舟』百年長屋公演、ありがたうございました~ (諏訪耕志)
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11月21日 毎日新聞掲載 『本物の芸伝える拠点』 (諏訪耕志)

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第三回『ことよさしの會』ありがとうございました! (諏訪耕志)
なずまないこと (諏訪千晴)

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靈的なものへの尊重 (諏訪耕志)
「つぶ」がくれたもの (諏訪千晴)
第二回 『ことよさしの会』 アンケートより
公演ご感想 「日本人であること」
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物語を産む ~『おはなしペチカ』を終えて~ (諏訪千晴)
第一回 おはなしペチカ ありがとうございました (諏訪耕志)

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第一回ことよさしの會 ありがとうございました(諏訪耕志)

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2015 大阪 ・ 2016 神奈川
言語造形 ふたり語り公演 樋口一葉作『十三夜』

 

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身に喰い込む憂いを抱えて
女ひとり、男ひとり、ぽつんと、立っている。

十三夜の月の光の下
ふたりそれぞれの後ろに伸びる闇。

その闇と闇とが淡く交わり、また別れていく・・・。

大阪公演のご感想はこちら   神奈川公演のご感想はこちら

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■大阪公演
2015年11月14日(土) 14:30開演
日本聖公会 大阪聖アンデレ教会

■神奈川公演
2016年4月2日(土) 14:30開演
日本キリスト教団 まぶね教会

◆出演  諏訪 耕志  諏訪 千晴
清水久芳 (ギター演奏)

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一葉の書きし明治の世     諏訪耕志

昨年の秋の大阪での上演とは全く違うこころもちで、わたしは今回の舞台を迎えています。この作品の稽古を重ねるほどに、この作品と出会えたことへの感謝が溢れてくるのです。

夫婦関係、男と女の関係というものの中で、どうしても、そのように動いてしまわざるをえない力学のようなものがあり、その力が自分自身の実生活と見事に重なっていることに気づいたときの驚きは、ここでもうまくことばに出来ずにいます。

人は理屈で生きているのではなく、情動で生きているということ。そして、情でこそ生きる人生というものを、おおぜいの人が理屈で処理しようとしはじめたのが、もしかしたら明治という時代なのではないだろうか。そして、その流れはいまだに続いていて、つぎつぎと人のこころを死に追いやろうとしている・・・。

一葉がものしたこの物語に出会えたことによって、わたしは、世界を、他者を、そして自分自身を、無意識に理屈で処理しようとしている己れの性向に歯止めをかけるチャンスをもらえたように実感しています。

一葉の 書きし明治の世を思へば
ゆゑわかなくに 眼(まなこ)潤み来  吉井勇

この物語を皆さんが耳でお聴きになって、全身でお聴きになって、どのような人間像と人間ドラマが立ち上がってきますでしょうか。お楽しみいただけましたら、幸いです。

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暗闇の最奥に見たもの     諏訪千晴

初めてこの作品に触れたとき、全身が燃えるように熱くなって、一気に読み上げたのを憶えています。そして、「是非ともこの作品を、言語造形によって世に送り出したい」と思ったのです。そうして公演が決まり、作品に取り組み始めたものの、「果たしてお関はなぜ、父の説得で離婚の意志を一八〇度も転換したのか」ということが、当時の私にはまだピンと来ていませんでした。さらには馴染みのない明治時代の一葉の文体を、身体に染み込ませることからして予想以上に苦戦し、ようやく台詞が馴染んでからも、この「十三夜」稽古の日々は、私にとって難関、苦難の連続でありました。

今、本番を目前にしたこのときに至って、ようやくお関のあの「転換」の意味、リアリティを、私自身が感じられるようになってきた気がします。おそらく彼女は、その苦しみの果てに、「私」という小さな自我を、そっと手放したのではないか、と。

言語造形の取り組みにおいて、天から言霊の一音一音、その聖なる音を迎え入れるときに、楽器となる語り手の体にこの小さな自我がいると、ことば本来の健やかな響きを曇らせたり、遮ってしまいます。私自身、今回の作品を通して、嫌というほどこの「自我」に邪魔をされ、苦しめられました。でもその果てに・・・外から見たらまさに「どん底」と言えるような暗闇の底にあるときに、初めて自分の最奥に、静かで確かな「光」を見たのです。きっと、きっとお関も、父親のことばを・・・その現実には何も変わらないけれど確かに愛から発せられたことばを通して、自らの外ではなく内に「光」を見出したのではないか・・・そんな風に感じています。

誰しもの内に存在する「闇」と「光」を、この教会という空間で皆さまと分かち合えましたら幸いです。

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2016 大阪 演劇クラス発表会
演劇『安達原』 語り『蛇の輪』

 

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熊野から奥州に修行の旅に出た山伏三人。
日が暮れかけてようやく到着したのは、「鬼こもれり」と聞く安達原。

一軒のさびれた家に宿を頼むと、一人の老婆がしぶしぶ中へと案内する。
糸車を廻しながら昔を偲んだ後、客人のため薪を取りに出かけてゆく老婆。
「その間、決して寝間を覗かないように。」と言い残して・・・

公演のご感想はこちら

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■ 演目  演劇「安達原」、 語り「蛇の輪」
■ 日時  2016年2月20日(土)
■ 会場  クレオ大阪中央 セミナーホール

◆出演
語り 『蛇の輪』 : 諏訪耕志
演劇 『安達原』 : 鹿喰容子 諏訪千晴 中将ゆみこ 村上恭仁子
堀内亜紀 (竜笛)

◆演出  諏訪 耕志

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■諏訪耕志(すわ こうじ)  *  語り 「蛇の輪」   ことばの家 主宰

この『安達原』は能のテキストであり、諸研究家によるそれぞれの論があり、諸流派によるそれぞれの演出がありますが、このたびの舞台は、それらのすべての論、すべての演出から離れて、ことばの芸術作品として、ただただ戯曲に記されていることばにシンプルに沿うことを試みています。
ことばの響きに応じて、息遣いに応じて、どう足を運ぶのか。どう振る舞うのか。どうことばを発するのか。ことばの響きに、繰り返し、繰り返し、耳を傾ける。そのような稽古を通して、だんだんと、どうすればいいのかという、その戯曲に秘められている秘密が明かされてくる。そうして、演じている者たちは、この『安達原』という存在が、いかなる内実を蓄え、いかなる念いと祈りを発信し、いかなる精神をのちの代まで貫こうとしているかを、知るのです。
『安達原』は生きています。ことばというものは、当たり前のもの、口を開けばおのずと出てくる自然のもの。しかし、言語造形を通して、わたしたちは、自分自身の取り組みいかんによって、ことばはいくらでも深みを見せてくれるのだということを、驚きつつ学んでいます。
一本一本の糸のようなひとことひとことのことば。そのひとつひとつのことばが織りなし合わされて、ひとつの作品になるとき、それは、ひとつの織物の仕上がりを目の当たりにするようです。しかし、それは、完成などとは云うには遠い、とことわの試みです。演者ひとりひとりが、いかに己れみずからを素直な糸の通り道としていくかを試み続ける。それによって、今回も、演劇という、ことばの芸術、対話の芸術を織りなしていきます。わたしどもの永い試みのひとコマを、味わっていただけたらと希っています。

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■鹿喰容子(ししくい ようこ)  *  アイ(「祐慶の従者」役)

アイは室町時代に生きた能力(のうりき)です。人生を、限られた時間を好きに生きるものと知る人です。今日のお話の中で、アイはワキ達の巡礼に喜んでお伴します。シテの想いが詰まった枠枷輪(わくかせわ)の音も、アイには糸車のそれに過ぎません。天邪鬼なアイは思いの儘にシテの寝所を覗きます。
私はアイを自然体な、原始的な人と受けとめました。また、生きている事を喜ぶという人として基本的な事をアイの御蔭で思い出しました。アイの語る言葉は無邪気で、その一音一音に喜びが溢れています。
演劇クラスは恵まれた環境でした。毎回熱心に教えて下さった諏訪耕志・千晴先生御夫妻はもとより、シテ役の村上恭仁子さん・ワキ役の中将ゆみこさんは、長年言語造形に取り組まれ、美しい言葉を話す方々です。初心者の私は彼等の言葉の美しさに毎回のお稽古で魅了されました。それはいつしか言葉を愛おしく思う事に繋がり、今では日常生活でも言葉の中に美しさを探す様になりました。豊かさを感じる幸せな事です。言語造形の御蔭です。
悪魔の様で天使の様なこのアイを、私は今日皆様に向けて演じます。アイ狂言の存在が、『安達原』の「黒塚」でどのような災難と恩恵を起こし施す事になるか、どうぞ御覧になって下さい。

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■諏訪千晴(すわ ちはる)  *  ワキツレ(「祐慶の共の山伏」役)

演劇クラスの皆さんとともに、古典芸能といわれる「能」のテキストに寄り添った一年間。ただひたすら「呼吸」に耳を澄まし、「ことば」という音の霊(たま)に身体まるごと仕えた日々でした。そうして私たちは、室町に生きた人たちの内面深くに誘われ、そこにいのちの息吹を吹き込むことによって、『安達原』は、今この新たな変化期を迎えている二〇一六年の世に、再び蘇りの時を迎えました。
稽古において「黒塚」という異次元へ踏み入るたびに、私たちは意識を超えた領域でこの「鬼女」と同じ浄化・変容のプロセスを辿ってきたように思います。『安達原』という作品そのものの意志と導きを感じつつ、この舞台空間が、今を生きるすべての人の内なる「黒塚」の浄化へと、誘うものとなりますように。

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■村上恭仁子(むらかみ くにこ)  *  シテ(「老女・鬼女」役)

安達原に取り組んで初めにテキストを手にした時、内容は理解できず、ただ灰暗色のススキ野原をさ迷い歩く鬼女のみが見えました。練習を重ね、俳優たちと思いを共有する中で、実はその風景は、鬼女の、そして、私たち一人一人が抱えている心の闇であることが見えてきました。自分の中の闇―両親への恨みと娘への嫉妬―には、薄々気づいてはいましたが、向き合ったのは初めてでした。十二月、それらを認め、闇をもたらしたものに感謝できた時、初めて、鬼女のかすかな喜びと安堵が見えてきました。この一年は、「ことばから与えられる」世界の奥行きの深さを味わいつくした日々でした。本日はお越しくださり、本当にありがとうございました。

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■堀内亜紀(ほりうち あき)  *  龍笛

『安達原』の舞台である福島には鬼女を封印した場所とされる「黒塚」があるそうな。 図らずも参加を決めた瞬間から自身の心の奥底の闇と向かい合う作業が続き、次第にそれは更に集合的な闇へと繋がっていくようでした。「安達原」に龍笛で関わり、また描く事でも闇との交感を進めるうち、同時期に闇との対話を個々で進める女性達との繋がりが一気に表出してきました。観客の方々とご一緒する事でこの繋がりの全体像がどのように表れるのか楽しみでなりません。

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■中将ゆみこ(ちゅうじょう ゆみこ) *  ワキ(「山伏・祐慶」役)

みちのく安達原とは、一体何処なのか。福島の安達ヶ原、黒塚の地ではあるのだが、お互いの声の響きのうちに立ち上がる演劇空間は、どこかもっと普遍的なあるいは異次元的な空間である。同じことは時間軸においても言える。これはいつの時代の話なのか。中世という時代区分を想像は容易く超えて拡がり、線形上にはない「今」が出現する。
練習中、私達はただただ、自分たちの発する言葉の響き、リズム、息遣いに心を傾け、全身を寄り添わせてきた。すると目には見えない内面の動きは激しくなるが、外側の舞台上の動きは抑制され、ある種の様式が立ち現れてきた。この様式こそが舞台の時間空間の設定を自由にし、人物像を役者の個性を超えた普遍的な元型として造形させるものだと実感する。だから、鬼も僧も荷夫も、今、ここで、我が心の内に存在するのである。
不思議なことに、このように劇中の人や場を普遍的・異次元的なものとして浮かび上がらせるのは、私達の声や動きであり、その元となるものは身体なのだが、一方でこの身体は現実世界に存在するための土台でもあるのだ。つまり、私達の身体は、私達を現実世界に存在なさしめることもできれば、架空の世界を創造することもできるのである。
身体に流れる智恵と力に感嘆しつつ、まだまだ拙いながらも創ってきた舞台空間を、もしともに味わい楽しんでいただけたら、こんな幸せなことはないと思う。

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■ 2010~2015年

■ 2004~2009年